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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

【小説】ねこミミ☆ガンダム 1



いつもと同じ朝。
中学2年生の山本英代は、半分だけ開いた窓の向こうに広がる空を見ていた。
昨日までの雨がウソのように雲ひとつない。
スカートをあげて、なかにシャツを入れる。タンスの靴下を探す。
あと5分。
学校には十分間に合う時間だ。
しかし、いつも決まった時間になると、母親が様子をうかがいにやってくる。それがいやなのだ。
靴下を履こうとして、また、不意に空を見上げた。
澄んだ空に、ひとつだけ黒っぽい点があった。窓は開いている。窓ガラスの汚れのはずはない。
《……鳥? ……人工衛星?》
動かないところを見ると違うらしい。
いや、黒い点は、ほんのわずかに動いている。ゴマ粒ほどの大きさだったものが、今は豆粒ぐらいになっていた。
《近づいている?》
片方に靴下を履き、もう片方は素足のまま、英代は窓辺に立った。しばし空を見つめた。
その時、
「ヒデヨちゃんー! 着替えたのー!?」
階下から、母親の声がした。
次いで、せわしなくバタバタと階段を上がる足音。
英代が聞きたくない音だった。
「着替えてるー! 大丈夫だからぁ! ……もおっー!!」
英代は、転びそうになりながら、もう片方の靴下を履いた。
床に寝かせていたかばんを引ったくる。部屋を飛び出した。



まぶしい朝日を浴びながら走った。
薄い水溜まりをスニーカーで踏みつけると光って跳ねた。
橋のたもとには、同じクラスの吉永裕子が待っていた。
隣には、同じくクラスメートで近所に住む幼馴染みの並木均(なみきひとし)もいた。
「ごめーん。待った?」
息をあげながら英代がいうと、裕子は、手をひらひらさせてこたえた。
「今きたところ」
「いやぁー、ちょっと寝坊しちゃった」
「遅くまでゲームしてたんでしょ」
裕子が、いたずらっぽくいう。
「そんなに遅くじゃないよ」
「ほんとかなー」
英代のなかでは、夜の11時までにゲームをやめれば「普通」。うっかり、12時をすぎてしまえば「やりすぎ」になる。
昨晩は11時前にはやめたから「やりすぎ」には当たらない。
「あれから続けてたんだろ?」
ふたりのやり取りを見ていた均がいった。
「均! あんた! 昨日は、どうしてひとりだけログアウトしたのよ!!」
英代が、ふざけて均のすねを蹴る。
「いたいよ!」
とはいっても、さわる程度なので、本当は痛みなどない。
「昨日も言っただろ」均はいった。「眠いから10時には抜けさせてもらうって」
「あんたたち好きねぇ、ゲーム」裕子がいった。
「英代に、強引に誘われたんだ」均がいった。
「〈一緒にやりはじめた〉でしょ?」
今、英代はオンラインゲームにはまっていた。
「ハンター&モンスター」ファンタジー世界で巨大なモンスターを狩るオンラインゲームだ。
有名なゲームだが、オンライン版は特にむずかしいことで知られ、まわりの同級生にやっているものは少なかった。
女だてらに高難易度のゲームにハマっていることを知られるのが恥ずかしかった英代は、幼なじみで同級生の均をさそって、毎晩のように遊んでいた。
剣などの武器でもって戦うゲームだが、英代は、そのなかでも蹴り技をまぜて戦う珍しいスタイルを好んだ。
「あれから大変だったんだからね。強いモンスターが出てきて苦労したんだから」
英代は、非難めかしていった。
「英代なら楽勝だろ」
均に悪びれるようすはない。
「楽勝でも時間がかかるのっ!」
再び、英代のローキックが炸裂した。
ニヤニヤと笑いながら見ていた裕子が口をはさんだ。
「まぁ、仲がよろしいことで」
「ちがいますぅー!!」
英代は、あらぬ疑いに抗議した。



英代たちは、住宅街のなかにかかる短い橋を渡った。
おしゃべりに夢中で気づかなかったが、まわりにいる同じ制服の生徒たちが、そろって空を見上げていた。
それに気づいた裕子が、口を大きく開けながら空を見た。
「なにあれ!」と、裏返った声をあげた。
英代も空を見た。
真っ青な空に、黒い点がひとつ浮いている。
家を出る前は豆粒ほどの大きさだったものが、今はピンポン玉ぐらいになっていた。
「隕石……かな?」裕子がきいた。
「それにしては動いてないよな……」均がこたえた。
いや、動いている。
あの黒っぽい何かは、ゆっくりとだが、地上に近づいている。それがなにかはわからない。
そのことに、この場で、ひとりだけ気づいたと思ったとき、英代の背筋が勝手に震えた。
とはいえ、それは見ていても、すぐ地上まで降りてくるとは思えなかった。
「行こう! 学校に遅れるよ!!」
英代の珍しく建設的な提案に、裕子と均はつづいた。
「宣伝のバルーンか、なにかだろ」均がいった。
まわりの生徒たちも、英代たちのあとをついてくるように歩きはじめた。
均のいう通りだ。あれは気球か何かなのだろう。
日常は、かたくなに変わらない。
いやな予感さえ、あとから思い返せば、恥ずかしくなるものだ。



たったひとつの黒い点は、空を降りていった。
やがて、それは、地上に近づくと、点や球ではない、もっと複雑な形をしていることがわかった。
鎧を着た人間。戦車に手足が生えたようにも見える。
それは機械の巨人だった。
背中から伸びるパラシュートを切り離し、全身についたスラスターをふかせて体勢を整えると、機械の巨人は、海に近い砂ばかりの大地に降り立った。
滑らかな動きで砂地にひざをついた。
胸部の分厚い装甲が前に開いた。なかからシートがせりだした。
シートには、体の線が見える、ピッタリとした黒いスーツに身を包んだ人間が座っていた。
頭部はヘルメットに覆われていて見えない。
黒いスーツのパイロットは、コックピットシートの前にあるコンソールに身を乗り出すと、ぐっと伸びをした。
しなやかなくびれ腰、ムダな肉のない背中。張り出した胸からして、パイロットが女であることがわかった。
女がヘルメットを操作すると、口のあたりが開き、整った唇があらわれた。
空気を深く吸い込む。
途端に、むせて咳がでた。濃い潮風のせいだ。
もう一度、ゆっくりと息をする。と、体に力が満ちてくるのを感じた。
ヘルメットを脱いだ。
亜麻色の髪が流れる。小さな鼻と口。目だけは、やけに大きい。猫のように縦長の瞳。青く光った。
人種はわからない。が、人間だ。
しかし、その女の頭の上には、髪の毛が大きく盛り上がったような、ふたつの奇妙な出っ張りがあった。
毛におおわれた膨らみがピクピクと動いた。
耳だ。
女の頭には、猫のような大きな耳がついていた。
遠くの水平線を見ながら、女は、聞き取れない異国の言葉でつぶやいた。意味は「海」「はじめて」「きれい」。
女は、コックピットのコンソールに向き合うと操作した。ポーン、ポーンと、信号らしきものが空に向かって放たれる。
女は、コンソールに足を投げ出した。
インナーヘッドフォンを取り出すと、ほほの横にある左右の耳に入れる。音楽を聴きながらくつろぎだした。はるか遠く離れた故郷の音楽だ。
聴きながら、頭頂の大きな耳は、ちがう意思を持つようにピクピクと動いた。
やがて、雲ひとつなかった空に、数えきれないほどの黒い点があらわれた。点は、空から、ゆっくりと落ちてくる。
それは、女が乗ってきたものと同じ、機械の巨人が数億体。それらを搭載した、大型の宇宙用艦船が数千万隻。すべて女の同族だった。
明るかった空が暗くなった。大気が濃くなったようさえ感じた。



突如、大気圏を抜けて、地球に降下してきた異星人。
その数は、30億とも、40億ともいう。
猫のような耳をもつ異星人たちは、その特徴から「ネコミミ族」と呼ばれた。
不思議なことに、ネコミミ族は、皆が皆、そろえたように美しい若い女の姿をしていた。
世界各地に降り立った彼女らは、一方的に地球への〈移民〉を宣言。各国の政府に受け入れを迫った。
各国は、国連を中心に議論を重ねた。が、その当時の混乱ぶりは目を覆うほどであった。
移民に反対する国のなかには、軍事力で、これを排除しようとするところもあった。しかし、地球に比べてはるかに進んだネコミミ族の軍事技術の前に、反対派の国は、あっさりと敗北した。
特に脅威とされたのが、巨大な人間の形をした機動兵器〈マシンドール〉だった。地球側の、どんな機動兵器の攻撃も、このマシンドールには通用しなかったという。
とはいえ、ネコミミたちは、移民を受け入れて友好を示す国と国民には、極めて寛容だった。本来の性格は穏やかなものらしい。
ネコミミたちは、その進んだ技術で宇宙をさまよい、安住できる惑星を探していたのだという。
次第に、各国政府も〈移民やむなし〉という方針に傾いていった。
アメリカに続き、日本の政府も早々に、ネコミミ族の移民を受け入れることを決めた。
そのせいか、一時期の不穏な空気がウソのように、ネコミミたちは社会に溶け込んでいった。
街には、若いネコミミ族の姿があふれた。今や、世界人口の3分の1が、ネコミミの娘になってしまったのだ。
テレビでは、この3ヶ月、狂ったようにネコミミ族のことを特集した。
内容は、ネコミミの生体に関してや、ご近所つき合いのコツ。移民後の地球の未来についてなど。
海外のニュースのなかには、移民に反対する過激なグループが蜂起し、それをネコミミたちが武力で鎮圧するなど、物騒なものもあった。
しかし、英代の住む日本といえば平和そのもの。
最近の話題といえば、テレビのバラエティー番組に出たネコミミのタレントが、大きな人気を博していることだ。
それにつづけとばかりに、かわいいネコミミを集めたアイドルグループが、近くデビューするという話もある。
英代と同年代の女子の間には、ネコミミをまねて、猫の耳のアクセサリーをつけることが流行っていた。ちなみに英代も持っている。
異星人が大挙して訪れ、世界の人口が1.5倍になったというのに、英世の周囲で変わったことといえば、それぐらいのものだった。
ネコミミは学校に来ないから人間関係も変わらない。ハマっているオンラインゲームにおいては、代わり映えが無さすぎて退屈なぐらいだ。
これだけのことが起きても、日常は、やはり大きな変化もなく過ぎていった。



朝、登校時刻。
英代は、均の家の前で、インターフォンに呼びかけた。
「おはようございまーす。均くんいますか?」
すぐに玄関の扉が開いて、均のお母さんが現れた。
「あらぁ、英代ちゃん! わざわざ迎えに来てくれたの?」
均のお母さんは美人だ。そのうえ、しっかりとした人で、英代は密かに憧れていた。
「おばさん、お久しぶりです!」
「均ったら、寝坊しちゃって……。まだ、ご飯も食べ終わってないのよ」
均の母は、奥に呼びかけた。「ひとしー。英代ちゃんが迎えに来てくれたわよー」
英代はいった。
「いいんです。今日は、早く起きたから、時間があって来ただけで……」
いつも一緒に登校する友人の裕子は、先に学校へ向かっていた。朝から委員会があるという。
「ここじゃ何だから、中に入って!」
「いえ、私は……」
待っているつもりだったが、強引なお母さんに連れられ、英代は久しぶりに均の家のリビングに入った。
ダイニングのテーブルでは、均が忙しく朝食を取っているところだった。
となりには、均のお父さんがいる。椅子に深く腰かけ、コーヒーカップを片手に、新聞を読んでいた。
均の父は英代に気づくといった。
「やぁ、英代ちゃん。久しぶりだね」
「おはようござます! おじさん!」
均のお父さんは、やせ形で、眼鏡をかけたインテリ風だ。ちょっと頼りなく見えるが、やさしいところが英代は好きだった。
「おぉぅ! 英代! もう来てたのかぁ!」
均は、朝食を口に詰め込みながらいった。
「時間はあるから、ゆっくり食べてて。待たせてもらうね」
そういって英代は、ソファーに座った。
かけ流しのテレビのニュースからは、今朝もネコミミの話題があふれんばかりに報じられている。
「――次は、国会の動きです」
女性アナウンサーが平らな声でいった。
「国会では、ネコミミ族の移民を正式に認める法案が、野党の反対もあるなか、与党の賛成多数で可決される見込みです……」
英代にはわからないこともあったが、現実には、ネコミミの移民を認める以外にないようだった。
均の父は新聞から顔をあげた。
「どうなるんだろうな……」
英世はいった。
「私、ネコミミが来てから、もっと世の中が変わると思っていました。ニュースでは色々いうけれど、まわりは、なにも変わってないような気がします」
「そうだねぇ……。日本はそうでもないけど、国によっては大きな影響があるともいうね。世界の情勢も、これから、どうなっていくのか……」
均の父は新聞をたたみ、テレビを眺めながらいった。「はじめのころは、人口が急激に増えたことで、食糧問題も取りざたされていたけど……」
話によれば、当初、もっとも心配された食糧問題は、ネコミミたちの進んだ技術で、あっさり解決したという。
ついでに、地球にとってはありがたいことに、深刻な環境問題にも解決のめどがついたという。
もちろん、いいことばかりではない。文化の違いによる摩擦は、これからさらに増えていくのではないか、ということだった。
「――次は、海外の話題です」
テレビのアナウンサーがいった。「先頃、ネコミミ族の女性との電撃的な再婚を発表したアメリカのポールマン大統領が、離婚した前夫人のイザベル女史から『この離婚は無効である』として連邦裁判所に提訴されました……」
「ははは……。どうなるのかね、これも……」
均の父が、あきれたようにいった。
最近、増えている問題が、これだった。
ネコミミ族は皆、女だ。そのうえ、皆が皆、若くて愛らしい容姿をしている。
地球の男が妻や恋人を捨て、ネコミミの女を選ぶことから起きる事件が、近頃目立って増えていた。
「ついに、ネコミミのファーストレディの誕生ってわけね……」
均の母がいった。
「国際政治への影響力は強まるだろうね」
「うちは大丈夫かしら……?」
「えぇっ!?」均の父がビクッと跳ねるように向き直った。
「大丈夫ですよ! おばさん!」英代は励ました。
「英代ちゃんがそういってくれると心強いわ……」
「ねぇ? おじさん!」
「は……はは……」
均の父は、乾いた声を出した。「……あっ!」突然、思い出したように腕時計をのぞき込む。次いで、テレビ画面の時間を見た。「いかないと!」
「あら、もう時間よね」
「久しぶりに英代ちゃんが来てくれたから、話し込んじゃったな」
均の父は鞄を抱えた。「じゃ、いってくるよ」
「いってらっしゃーい」英代と均がこたえた。
「均、あんまり女の子を待たせるんじゃないぞ」
「わかってるよ!」
均の母にいった。
「じゃあ、理紗。あとは頼んだよ」
「はーい。いってらっしゃい、凛音(りおん)」
というと、均の母は、夫に抱きつくように近づいて、唇を突きだした。
お互いの唇が重ね合いそうになったところで、
「やめろよ! 友達が見てるだろ!」
珍しく、均が大きな声をあげた。
「……ん? ああ、そうか」
「あら。ごめんね、英代ちゃん」
英代はドキドキしながらこたえた。
「い、いえ……! 気にしないでください!」
「まったくさぁ……」均はコップの牛乳を一気に飲み干した。
ふたりの大人は、寄り添うように玄関に向かった。
話し声がしたあと、不意に声がしなくなった。英代が首を伸ばして後ろから覗くと、均の両親はキスをしていた。
「ブホッ……!」思わず息がもれた。
並木家の朝の習慣は、英代が幼いころから変わってないらしい。



だれも見ていないテレビが、最後のニュースを報じた。
「ネコミミ族の最高権力者、ネコミミ女王が、本日、日本に建設されたばかりの城を訪問されます。周辺住民の皆さんは、安全確保のため、ネコミミ族の警備にご協力ください……」



均の母に見送られながら、英代と均は玄関を飛び出した。
「やばい。遅れちまったか」均はいった。
「平気よ。ギリギリ間に合う時間だから」英代はこたえた。
「近道しよう」
急ぐこともなかったが、英代と均は、学校への近道になる、住宅街の細い道に入った。
建物の陰になって陽の光は入らない。が、大通りよりも空気が澄んでいる。
清々しい。
せまい道の角を何度も曲がった。しばらくいくと、知っている人影が前に見えてきた。
均の父親だ。
英代は手をふりながら、
「おじさーん……」
と、声をかけようとして止まった。
均の父のとなりには、頭ひとつ分、背の低いネコミミ族の女がいた。フリフリした服装がかわいらしい。
しかし、ネコミミは、きれいな顔に似合わない、石のように固い表情をしていた。
英代と均は、思わず足を止めて、ふたりの様子をうかがった。
風に流されて、ネコミミの声が聞こえた。
「……どうして!? 何で、突然そんなことをいうの!?」
声の様子は、ただ事ではない。ネコミミは、均の父に何かを抗議しているようだった。
「……ワタシたち、今までだって、うまくやってきたじゃない!」
均の父も、いつにない深刻な顔つきをしていた。
「……わかってくれ。僕には、妻も子もいるんだ。これ以上、きみとの関係を続けるわけにはいかない……」
「ウソつき! ワタシのこと、愛してるっていってくれたのに! あの言葉はウソだったの!?」
――ビシッ! と、音を立てて、英代と均の間の空気が凍りついた。
ネコミミは、均の父に抱きついた。小さな顔を胸に埋める。泣いているようだった。
均の父は、ネコミミの肩を抱いてささやいた。
「ウソじゃない……。ウソなもんか! でも、もう、きみとは会うことはできない……。ああ、きみと、あと10年、いや、20年、はやく出会えていたら……!」
均の父は、ネコミミの肩を突き放した。
「僕のことは、いくらでも罵ってくれてかまわない……」というと、振り返ることなく歩き出した。
ネコミミは、目の前で世界が崩れていくかのような表情でよろめいた。
それでも気丈に踏みとどまる。男の背に向かって叫んだ。
「ワタシ、凛音(りおん)のこと、あきらめない! 絶対に、あきらめないからっ!!」
英代と均は、しばらくその場に釘付けになった。
やがて、英代は均の手を取って、住宅街の横路に隠れるように入った。



英代と均は、広い通りを早足で歩いた。
均は男なのに、英代のあとをうなだれてついてくる。
「父さんが……。ネコミミの女と……」
「……」
寝ぼけて、悪い夢でも見ているような気分だった。
つい、さっき、日課であろう妻とのキスをして家を出ていった均のおじさんが、ネコミミと不倫をしていた――。
英代は、目の前で起きたことが信じられなかった。
「どうしよう……。どうすれば……」均は、頼りなげにつぶやいた。
英代は振り返っていった。
「ダメよ。いっちゃダメ! おばさんには絶対に!!」
「うん……」
「心配することないわ。黙っていれば、必ず、元の生活に戻るから……」
「わ、わかったよ……」
先ほどまでの、さわやかな空気は、もうなかった。
ふたりは、叱られて落ち込む子どものようにトボトボと歩いた。まわりの景色など、もう目に入るものではなかった。
「待て! お前たち!」
聞きなれない声がして、英代は顔をあげた。
軍服だろうか、見なれない服装をしたネコミミが、落ちつかなさそうに道の中央に立っている。
「な……、何ですか?」
「何だ、ではない。きいていなかったのか?」
「……?」
ネコミミは早口にいった。
「この道を、ネコミミ女王さまを乗せた車列が通られる。一般人は、歩道に伏せながら、頭を下げているように」
「ネコミミ女王さまって?」
「そんなことも知らんのか……」
ネコミミはあきれたように息を吐いた。
ネコミミ女王とは、地球に降りたネコミミ族を統べる最高権力者であるという。このあたりに最近、ネコミミ女王の居城が築かれた。その城までの道を、女王を乗せた車が通るらしい。
「そういえば……」均がいった。「ニュースでネコミミの偉い人が日本にきてるっていってたな」
「女王さまの車列が通りすぎるまでは、まわりの者たちのように、道にひれ伏しているように」
まわりを見渡すと、歩道に正座をしながら車列を待つ、児童や学生、大人たちの姿があった。ネコミミ族の姿も多くある。ネコミミたち以外の人々は、やはり困惑しているようだった。
「ここに!?」英代はおどろいた。
「地べたにかよ……」均はいった。
「車が通りすぎるまで頭をあげるなよ」
「何で、そんなこと……。いこう。学校に遅れちゃうよ」
「待て!」ネコミミは、英代を押し止めると、片方の耳につけたイヤホンに耳をすませながらいった。
「もう車がくる。通りすぎるまでおとなしていろ。動いたものは、不審者として、拘束する決まりになっているからな」
威圧的にいうと、ネコミミは道の中央に戻った。
「頭を下げないだけで捕まるっていうの……」



「お嬢ちゃんたち」
道に向かって地べたに正座している老女が、英代たちにいった。
「急ぎなさいな。もうすぐ偉い人の車がくるってさ」
英代と均は、そのとなりに座った。
老女はいった。
「ネコミミ族の女王さまだってさ。どんな顔をしているのかね」
「道路にひれ伏してろ、なんて横暴だわ……」
「まあまあ。さわらぬ神に……ってね」
というと、老女は正座した足を痛そうにさすった。
英代は、鞄からミニタオルを取り出した。
「よかったら使ってください」
「ありがとうね」
次いで、一時限目の授業で使うはずだったノートを取りしたす。自分の足の下に敷いた。
「均は?」英代がきくと、
「あるよ」均も、鞄からテキストを取り出して敷いていた。
やがて、道の奥から、車列が、ゆっくりと近づいてきた。



英代たちの前を、珍しい形の黒い車が何台も通った。その後ろから、真っ赤な車がやってきた。
あれにネコミミ女王が乗っているのだろう。
すぐ前を車列が通りすぎていった。英代は、まわりの人たちと同じように、正座しながら地面に頭をつけた。そうしないとネコミミの警備員がにらんでくるのだ。
横目で均を見る。思わず目があった。お互いに変な格好をしていると、笑いそうになった。
同時に、心の奥には、腹立たしい気持ちもあった。
ネコミミ族で、もっとも偉い人とはいえ、なぜ、自分たちまでが、こんなことをしなくてはいけないのか。
もったいつけるように通りすぎていく、車列のタイヤを見ながら、英代は思い出していた。
1年前のことだ。
学校で、災害復旧のボランティアをしたことがある。のちに、そのことを称えられ、政府が主催する「なんとかのかんとか会」とかいう非常に名誉ある会合に、中心者だった英代は代表として招かれた。
そこでは、なんと、天皇陛下と皇后さまから、直々に、お声をかけていただくという栄誉にあずかることになった。
列に並ぶ、英代たち中学生代表の前に、陛下と皇后さまがそろって、ゆっくりとお近づきになった。
「あなたが山本英代さんですか」
「かわいらしいですね」
陛下と皇后さまは、やさしい声でおっしゃられた。
「ハ、ハイ!!」
英代は緊張のあまり、声を出すだけで精一杯だ。
「ボランティアに励んでくださったんですね」
「い、いえ! 学校のみんなでやりました!!」
英代の緊張したようすに、まわりの大人たちも微笑ましそうに笑った。
「ありがとうございます。これからもがんばってください」
「はい! こちらこそ!!」
天皇というわりに、やたらと腰の低い陛下は、英代たちに向かって深々とお辞儀をされた。
英代たちも同じように、深くお辞儀した。
そのときだった。
天皇陛下が、深く腰を折り曲げるのと同じぐらい、英代も深く腰を曲げた。――しかし、お年を召して背丈の低くなられた天皇陛下より、英代の背がわずかに高かった。そのため、同じような角度でお辞儀をしても、頭の位置では英代のほうがわずかに上にあった。
つまり、英代は、天皇陛下に(比較すれば)頭を下げていない。
天皇にも頭を下げない女――。
これが、極めて密かに、英代が自身の誇りとするところだった。

もちろん、こんなことを他人にいえば、変な人と思われてしまう。悪ければ「非国民」として、逮捕されることもあるらしい。
だから、そのことは、だれにもいってない。自分の心のなかにだけある「勲章」だった。
その「勲章」が、今あっさりと踏みにじられようとしている。
ネコミミの女王を乗せたであろう真っ赤な車が、すぐ前を通りすぎようとしていた。頭を下げている英代たちからは、タイヤしか見えない。
そのとき、頭上から女の声がした。
無感情な、冷たそうな声はいった。
「くさいわ」



女王はいった。
「くさいわ。それに、せまくって、汚い町……」
女王のとなりに座る、派手な軍服を着たネコミミの家臣は、タブレット型の端末から目をあげるといった。
「ご辛抱ください。もうすぐ、大きな通りに出ます。そこまでいけば、居城まであと少しです」
「もっとスピードを上げさせなさい。はやくシャワーを浴びたいわ。……体にまで、変なにおいがついてしまいそう」
家臣はうやうやしく頭を下げた。
「恐れながら。民草の暮らしぶりを見るのも王の務めでございますゆえ……」
「ふん。どこにいっても同じよ。この国は……」
女王はつまらなそうに外を眺めた。



英代は頭を上げていた。
自分のささやかな勲章を踏みにじるものの顔を、見ないではいられなかった。
真っ赤な高級車は、うしろの窓が開いていた。車内には、横長にとがった眼鏡をかけた、ネコミミの姿があった。
怪しいほどに白い顔。艶のある長い黒髪。切れ長の瞳。
ネコミミ族には、ぱっちりとした大きな目のものが多い。細い目は珍しかった。
眼鏡の奥の瞳が、つまらなそうに外を眺めていた。
不意に、英代と目が合った。
英代は、思わず目が離せなかった。
見つめてくる女王の瞳が、満月のように大きく見開かれていった。まるで魅入られたのかのように、こちらを凝視した。
すぐに、英代は、女王の瞳が自分を見ていないことに気がついた。
「お、おい! 英代っ!!」
突然、となりから声がして、英代はおどろいた。均が心配して声をかけてきたのだ。
「お嬢ちゃん! はやく頭を下げて……!!」
老女も不安そうにいった。
「とめなさい!」女王が、凛とした声で配下に命じた。
車は、英代たちの目の前で停まった。
なにかを言いたげな家臣を尻目に、女王は自らドアを開け、ひらりと降り立った。
女王というわりに、ゴシックロリータちっくのフリフリとした、かわいらしいドレスだ。
女王は、英代を無視して均に近づいた。
上体を曲げ、顔をくっつけんばかりに均を見た。
眼鏡の奥の目を見開きながら。まるで、珍しいものでも見つけたように。あるいは、呪いでもかけられたかのように。均に見入った。
英代もまた、その光景から目が離せなくなっていた。
やがて、女王は、細い目にもどると顔を上げた。美しく胸を張りながらいった。
「この子を連れていきなさい!」
うしろに停まっていた車のドアが開き、ふたりのネコミミ兵士が降りてきた。
「女王がお呼びです」「お連れいたします」
「えっ!? えっ!?」
ネコミミ兵は、うろたえる均の両脇を抱えあげた。あっという間に、均を後続の車に押し込んだ。
女王は車にもどろうとした。車のなかの家臣は頭を抱えていた。
「ちょっと!!」
英代は、勢いよく立ちあがった。
「何してるのよっ! 均をどうするつもり!?」
英代の燃え立つ瞳を、振り向いた女王は凍りついた目で受け流した。
「捕らえよ」と、一言いうと、車にもどっていった。
「待ちなさっ……!」
不意に、後ろから強い力で押さえつけられ、英代は地面に顔をうつ伏した。
「お嬢ちゃん!?」老女が声をあげた。
車に乗り込んだ女王に、家臣は物憂げな表情でいった。
「女王さま。人心の掌握が済まないうちは、あまり……」
「さっさと車を出しなさい」女王は無視して命じた。
車が走り出す。捕らえられた均が、車内から声をあげた。
「英代! 大丈夫か!?」
女王と均を乗せた車列が、英代の前を通りすぎていった。



やがて、車列の向かった先から、1台のパトカーがやって来た。ネコミミ兵に取り押さえられ英代の前で停まった。
なかから、警察の制服を着たネコミミが降りてきた。
ネコミミの警官に、英代は、後ろ手に手錠をされた。
「な、何すんのよっ……!!」
英代は、無理矢理立たされると、投げ込まれるようにパトカーに押し入れられた。



英代は、市内の警察署まで連行された。
手錠を外された途端、地下の牢屋に押し込まれた。冷たいコンクリートの床で、顔をしたたかに打ち付ける。
英代をつれてきたネコミミの警官は、そのまま鉄格子の扉を閉めて出ていった。
鉄格子を両手でつかみ、狭い隙間に顔を押し込みながら、英代は声をあげた。
「なんで私が牢屋に入れられるのよ!?」
ネコミミ警官は振り向こうともしない。
「私が、何したっていうの……!!」
立ち去ろうとしていたネコミミ警官は、振り向くといった。
「現行犯だ。女王さまへの無礼は、本星ならば死刑に当たる」
「し、死刑っ!? 私が!? ふざけてるっ……!!」
英代の抗議を無視して、ネコミミ警官は去っていった。



英代は牢の中を見渡した。
牢には、すでに何人かが囚われていた。皆、女だ。
沈んだ目で、壁に寄りかかっているもの。ふてくされたように寝転んでいるもの。死んでいるようにうつ伏せに倒れているものもいる。話をするような空気ではなかった。
英代は、入り口に近い壁に体をあずけて座った。
《何で、こんなことに……》英代は思った。《均は、どうなったの……》
しばらくして、重い沈黙が破られた。
「おい……」
死んだようにうつ伏せ倒れていた女が、顔も向けずに英代にいった。
「何があった?」
「え……。あなたは……?」
女は、初夏だというのに、ひざ下まである長いコートを着ている。
「俺のことはどうでもいい。外で何があった?」
まわりに気取られないよう、英代は小声でいった。
「……ネコミミの女王に、突然、友達がつれていかれました。私は、それを止めようとして捕まりました」
「そりゃぁ、災難だったな」
女は顔をわずかに上げた。若い女だ。あたりをうかがうといった。
「近くに」
「……?」英代は、女に顔を近づけた。
「ここから出る気はあるか?」
「出る……。脱獄する……?」
「そうだ」
「どうやって……」
「方法はいくらでもある。やる気は? あるのか?」
英代は、顔がつくほど近づいていった。
「ありますっ……!!」
英代の返事に、女はうなずいた。




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